「さよならだけの 人生か」
~ソラニンより~
何年も前、この写真が現像されて目にした
瞬間
この言葉がぴったりだと思いました。
直感的に。
ごく最近、ついにパンドラの箱の表面の
埃を払い始めたのか
昔の写真やブログを発見して(意図的に)
眺めています。
ああ、昔も今も
私の真ん中って変わってないな、
と実感しますが
いいのか悪いのか
感情が動いて涙することは
できていません。
自分の中にある強い感覚って
なんなんだろうって思っていたら
ふと「センチメンタリズム」
という言葉が浮かびました。
厳密にはどういう意味だろうかと
調べてみたところ
「センチメンタリズム (sentimentalism)」 という表現は、 「無闇矢鱈 (むやみやたら)に感傷・感動におぼれる心理的傾向」 や 「過度に自分の感情・情緒を重視して、感じやすくて傷つきやすい傾向・態度」 のことを意味しています。
定義
感傷主義。感性を大切にする態度。物事に感じやすく,感情が動きやすい傾向。
なるほど
自分の根幹的な部分を絶妙に
言い得ていて
とくに「無闇矢鱈に」という表現が
なぜかしっくりきました。
今自分がおかれている日常の中で
そんな私の感情が動いていないわけがなく
水面下で動きまくっているのに
表出できる場面がないことが
苦しいのだと思います。
厄介な性質だなと思うけど
自分の撮った写真をみて
そこに感情をあてはめていく作業を
繰り返すことは
やっぱりとても私らしいと思います。
いつか写真展を開くときのタイトルは
『センチメンタリズム』にしよう。
「さよならだけの、人生か。」
悲しいけれど、素敵な言い回し。
悲しいからこそ、素敵な言い回し。